日本各地を焼け野原にした米軍の空襲や、原爆の悲惨な話が出ても、その中で語られない事実がまだまだ有る
という事なんですね。最近良く訪問させて頂いている「ゆさこをゐち」さんのエントリーで↓
http://kohichi.iza.ne.jp/blog/entry/1768599/#cmt
広島に原爆が投下される前に、全国で模擬爆弾による試験が行われていた、というのを初めて知りました。
広島への原爆投下は、予定していた呉付近の天候が悪く、直前になって広島に変更された。というのは、広く知られるようになりましたが、米軍が行った空襲の時に、模擬爆弾まで作って、用意周到に準備していた。となれば、マンハッタン計画が成功するのを織り込み済みで、尚且つ沖縄での日本軍の抵抗によって、将兵の被害を最小限に留める為に止むなく原爆を投下した。なんぞという前提も崩壊します。つまり、はじめから原爆を日本に使うつもりで、用意していた。という事がここからも窺い知る事が出来ます。
矢張り、彼等にとっては、黄色人種は人間では無かったんでしょう。焼夷弾の使用も充分に非人道的ですが、それ以上の卑怯な手段を一般市民にも使っていた事実を私達が聞く事は、まず有りません。それは、時限爆弾を焼夷弾と共にB29がばら撒いていた事実です。
これは、東京の山手で空襲に遭った方から聞いた事ですが、昭和20年5月に有った空襲で、その頃はまだ下町に比べれば、家もまばらだった山手が焼け野原になりました。被害者の数は3月の東京大空襲に比べれば少なかったようですが、恐怖はその火が鎮火してから起こりました。
失望の中で我が家や、町内の片づけを始めた所が何の前触れもなく爆発し始めました。空襲の後で生き残った者は「やれやれ」と、一安心しながら片づけをする為に焼け跡を歩いていると、途端に足下で爆発が起こったんです。それも一斉に起こる訳では無く、あちらでボン。こちらでボン。とまるで、そこに人間が帰ってくるのを待っていたかのようにそここで、大きな土煙が上がったそうです。
実際にその被害に遭った方も多く、折角、業火の中を命からがら生き延びて、やっとの思いで自分の家にたどり着いたら、ボン・・・こんな理不尽があるでしょうか?
空爆を指揮して、日本国中を焼け野原にした米空軍のルメイは「日本の工場は一般家屋が集まる市街地に多く有る為、戦略拠点として攻撃する時に、一般住民に被害が出るのは仕方がない」と語ったようですが、では何故時限爆弾を投下したんでしょうか?
答は簡単です。はじめから全ての日本人を殺そうと考えたからです。そして、その為には手段を選ばなかった。という事です。
ある意味こんな卑怯な手を使っても、日本人を殺したかったのが、当時のアメリカなんです。今に至るも、マスコミでこの手の話を聞いた事が有りません。
原爆の模擬爆弾投下も、この時限爆弾投下も、如何に日本人抹殺の為に彼等が心血を注いだのか?を報道するマスコミを私は知りません。べつにそれを糾弾せよ、と言うつもりは有りませんが、戦勝国と敗戦国の違いはあれ、これだけの事実が有っても、それらに頬かむりをする今のマスコミを信用する事はできません。
この話を聞いたのは、もう15年も前ですが、その当時これを語ってくれた方も「何で、日本人が受けた被害は取り上げずに、日本軍がやってもいない蛮行を捏造してまで報道するのか、マスコミのやっている事は日本を悪人にする事ばかりだ」と嘆いておられました。当時うすらサヨクだった私も流石にこの言葉は重く受け止めました。
私が、今のような保守的な考えに変った、ひとつの切欠になったお話でした。
by akira
お暑い中、ご苦労さまですねぇ…